無題
実家は不思議な間取りでした。 廊下はとても広く、天井も高く、玄関は洋式の非常に重い立派な扉です。獅子を模したドアノッカーのリングまであり、閉じると重い音が響きます。 玄関には立派な靴箱、その上には来歴も分からない大きな磨かれた石が台座に乗って飾られていました。 玄関から入ると正面右に上り階段で正面左にその広い廊下となっていました。広い廊下は4メートルほどですぐ左に折れ、リビングやトイレ、それから突き当りには脱衣所とお風呂があります。廊下は広いのですが、特段電気をつけるでもなく隅の方には暗がりがまるで澱みのように残っていました。幼い頃はそれがたまらなく恐ろしかったのです。 さて、先ほど廊下は左に折れると書きましたが、右は壁になっています。ここでもう一つ、不思議な間取りについて説明させてください。その壁の裏には玄関があるのです。 あれ?と思った方は正しいです。その玄関は重厚な扉のついた玄関ではありません。庭からしか行けない、どこにも繋がっていない玄関なのです。玄関なのにどこにも繋がっていないのか?ではなぜ玄関と思ったのか?そう言われても仕方ないでしょう。でもアレは間違いなく玄関なのです。今では暗闇に埃や得体のしれない何かを閉じ込めたそこは、扉に郵便受けが付いていました。その扉以外には何もアクセスできる部分がないにも関わらず。 もしその”玄関”の扉を開けて真っすぐ進み、仮に正面の壁がなければ……そこは一直線に脱衣所とお風呂に続く廊下にまっすぐ接続しているのです。 子供の頃は光の行き届かない実家が、実家のあらゆる隅の澱みがおそろしく、なるべく見ないで真ん中を歩いていました。 そんな私も実家にいた頃はリビングで毎日食事を食べていました。冬は流石に廊下と接続している引き戸は開けなかったのですが、夏など冬以外の季節はずっと開けていました。それが、幼い時分の私にとっては、たまらなく寒気を感じたのです。 暑い夏でも絶対に見ない。ガラスや鏡、消したテレビのブラウン管の反射も見ない。絶対に目をやらない。なんでそこまでするのか、まあ幼い子どもの抱く”神話”や”信仰”に近いものはあるかもしれません。でも人間って視界の端で動くものは無意識に視線で追ってしまいますよね?だってそこをたくさんの影のようなものがお風呂の方向に向かって進んでいくんですから。だから見ないようにした。考えないようにした。”...