Harry Potter et la pierre de latrine

「これは…ポッター、貴様の中に宿っているのはただの痛みなどではない。貴様には見えないが…その体内には『石』がいるッ!」
「石…?なんだって…ただの石ならなんでこんな痛みがするんだッ!?」
「違うぞポッターッ!そいつはただの石ころなんかじゃあないッ!尿路結石のスタンドだッ!」

グリフィンドールから理不尽に減点するスネイプ先生のシチュエーションを考えるのが大好きでして。
「ポッター……今朝は小鳥が小気味よくさえずりお日様さんさんのいい天気。吾輩ハッピッピーだ……。グリフィンドール5点減点」
「おはよう諸君……。吾輩今朝花占いしてたらコップを袖に引っ掛けてジュースをこぼしてしまった。かなしい。グリフィンドール10点減点」

それはそれとして。人の意識……というか人格ってどこにあるの? 脳内のシナプスの反応の集積が人格だとしたら、その主体はどこだろう。なさそう。かなしい。
シナプスの接続なんて日々変わる……というか最適化されるものだと思っているので、そうすると昨日の自分と今日の自分は別なのでは?

まあわたくしタナトフォビアなのですが、それは自分の意識が最期の瞬間を迎えたら自我はどうなっちゃうの!?っていうアレがソレでして。そういう意味でスワンプマン問題的なのも色々考えたりするんですよ。個人的には記憶喪失でまったく別人になってしまう→アリ。なんでかって自我の連続性って意味では接続してるから。でもね、クローンに記憶を移して永遠の命だヤッターっていうのはアァン!?ってなるんですよね。だって元になった人物は分岐先で死を迎えてるじゃないですか。だからFF14でいうと水晶公が原初世界に戻ってグラハになったよやった~っていう感覚が本当に理解できない。いや、理解するんですけど納得できない。全員が全員ヤッターなのが本当に納得できない。
そこ突き詰めてくと「じゃあ体の機械化をする際に脳も機械化をします、記憶をコピーしました」なら眼の前に自分と同じ人間が立ってるだけなんですよね。コワイ。じゃあ自我の連続性を保ったまま機械になるには?っていうと、脳に外付けデバイス的に機械の脳を接続して使用比率を徐々に機械脳に移していく……とか考えたりします。要は自分が怖いと思うか思わないかの違い。ここがどうしてもわかってもらえない。

スワンプマン問題に戻ると、他人から見て自分が別人になっていようが自我が連続しているなら何でもいいんです。記憶じゃなくて自我。これだいじ。でもその逆はNO。他人から見て同じ人間だろうと自我の連続性が断絶していたらもうそれタヒんでるってことじゃないですか。これを理解してもらえなくて苦労する。
タナトフォビアは永遠に科学で治すことのできない不治の病。『答え』を得ることはできても『正解』や『治療』はできない。現状それに『答え』を用意できるのが宗教くらいっていうのがまたホントもう。だから私は本当だったらラッキーくらいの感覚で浄土宗の寺にちょいちょい行ってるんですけど。

あ、架空クソ映画のラベルの日記については見たいとちょっとでも思ったら作ってください。私も見たいぞポッター。

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