これが私の『自省録』だ!!!!!!

 自省録。人類史の中でも有名な書物の一つ……。
著者は自分が死んだら捨てといてくれって言ったのに、なんか死後二千年も脈々と公開され続けているDドライブのような存在。

そんな偉大なる大秦国王安敦に倣って私もやってみる。


大人になるとたくさんの言葉を知る。その分、ひとつひとつの言葉の重みは小さくなる。だから言葉を選ぶのだ。たくさんの言わない言葉の果てに、ひとつの言葉の重みを取り戻すのだ。 ゆえにこそ、大人は “話さないこと” を学ぶべきなのだ。


どうしてきみは大空に飛び立とうというのに、泥濘の吐く泡の音に耳を傾けるのだ。 きみが大空を、その先を往くならば、きみが聞くべきは星雲の声であり、目を向けるのは465億光年も彼方の光であるべきなのだ。


目的があり、目標があり、手段を持っていて、方法が分かっている。 ならば実行しないことは怠惰であり、お前の魂を腐らせる病の萌芽である。


誠実な人間になることはできないが、誠実であろうとし続けることはできる。


”やるときはやる” などと称する者が、やるべき時に成したものを見たことがない。仮に本当にそうだとしても、人の一生は本当に短い。来たるべき ”やるとき” が君の生きているうちに巡ってくるだろうか。行動するか、行動しないかの二択しか無いのだ。君はどうだ。


”死にたい” と口から漏らしてしまったのならば、こう続けろ。 ”知らねえ!うるせぇぶっ殺してやる” と。


現生人類には10万年の時間があった。文明には数千年の時間があった。君にはあとどれだけの時間がある? さあ、事を成せ。


人生に意味はあるのかと問うならば、意味など無いというのが唯一の答えだ。雨風や雷、それから鉱物組成と同じく生物もただの化学現象の結果だ。意味がないのならば、己の命に対して意味を見出す責任は無い。君の一生の価値は、ただ君だけが知っていればいい。


君の体はビッグ・バンの名残で出来ている。何億光年の彼方へ分かたれるかもしれなかった粒子が、君の体に集まっている奇跡だ。そして、もし君の体が138億年前のビッグ・バンの燃えカスに過ぎなかったとしても、それに火を点すのは君自身の意志だ。


憧れるのは良い。閃くのももっと良い。しかし憧れも閃きも小鳥のようなもので、君は大きく開け放たれた鳥小屋のようなものだ。小鳥が立ち去る前に正しく書きとめ、そこに至る道を形にすることを怠るべきではない。

 あくまで自省録だからな!!!!!!ぜんぶ自戒の言葉やからな!!!!

たまに追記するかもね。

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